フォークソングとプロテストの感情

思春期を迎える頃、私たちはテレビの中の笑いや歌から、次第に”街の音”へと耳を傾けるようになった。そこにあったのは、感情を表現する歌ではなく、感情そのものが剥き出しになった歌だった。それが、フォークソングだった。
ギター1本と、時に震えるような声。それは、うまく歌うための音楽ではなかった。何かを伝えたい、叫びたいという欲望が”音”になったものだった。

音は、言葉より先に世界を開く。

「歌は武器ではない。けれど、人の心を動かす。」 ピート・シーガー 敗戦後の日本。瓦礫の中から少しずつ復興していく都市で、新しい音楽文化が密かに芽生え始めていた。アメリカ兵が持ち込んだレコードやラジオ番組は、一部の熱心な若…

記憶のラジオ 声の記憶と戦後のメディア空間

「声は人の顔であり、形であり、身体であり、私そのものである」

戦後の日本では、ラジオが「音を届ける装置」であると同時に、国家の声を浸透させるインフラでもあった。
玉音放送に始まり、天気予報、農業指導、音楽番組、戦災孤児への呼びかけまで──その「声」は、家庭という私的空間の奥へとじわじわと浸透していった¹。
私はその「声」を、はじめは意味ではなく響きとして受け取っていた。父の横で静かにラジオを聴いていたとき、言葉の意味はまだ理解できなかったが、語り手の抑揚、間合い、時に緊張を含んだ沈黙が、空気を変えるのを感じていた。
言葉の背後にある何か──それが「声の記憶」として、私の中に刻まれていったのだ。

エレキギターの進化と音の循環

エレキギターという存在と出会ったのは確か高校生だったように記憶している。「ザ・ベンチャーズ」の来日(1965年)と「ザ・ビートルズ」の来日(1966年)が決定打となり、日本中の若者がエレキギターに熱狂した世に言う「エレキ…

公共ライドシェア実証運行に関する改善要望メモ

趣旨:実証期間中に把握された利用者の不便・課題を整理し、今後の制度改善に資することを目的とする。来年の御代田町議会で議論されることを期待してここにメモを挙げておきます。また、この後で議員さんたちの一般質問用の想定Q&Aも…

御代田町で始まった「予約制の相乗り型生活支援交通」について

御代田町の公共ライドシェア実証運行を使った体験内容を要約する。

公共ライドシェアは町民限定で、町内のみ移動可。月〜土の8:30〜17:00運行、料金は400円。利用には事前予約が必須で、アプリか電話で2営業日前〜1時間前までに申し込む。当日は指定場所に車が迎えに来て、支払いはアプリか現金。

利点は、玄関先まで迎えに来てくれる柔軟性と、町内の通院・買い物に便利という点。ただし「思い立ってすぐ乗れない」「運行時間が短く、日曜休み」「台数不足で予約困難」「アプリ操作の壁」「Uber的な自由度と誤解されやすい」「運転の質や車両にばらつき」「行ける範囲が分かりにくい」といった不満が利用者とドライバーから出ている。

根本原因は制度設計の期待値と実際のサービスレベルとのズレにある。目的は観光便利化ではなく「車を持たない住民の生活移動の最低限確保」。改善には、即時配車枠、運行時間延長、日曜対応、台数増便、混雑可視化、電話受付拡大、利用制限の明示、安全基準とフィードバック導入などが望まれる。

筆者の実感としては、昼は買い物往復に助かるが、佐久医療センターへ行けないのが辛い。夜飲みに出たい時にも使えると嬉しい。

制度の限界を認めつつも、地域の交通インフラとして成熟させる余地が感じられる。

決断しない町の言葉

──御代田町・外国語学校問題が映し出す「国際化」の空白 御代田町馬瀬口で計画されている日本語学校「軽井沢国際日本語学校」をめぐり、町議会では繰り返し質問が行われてきた。人数規模、住民説明、生活影響、行政の関与──争点は多…

教室における「流行語」──テレビと集団感覚

テレビという窓を通して、私たちは皆同じ風景を見る。その光景は個々の記憶となりながらも、同時に集合的な想像力を織りなしていく。 📺 テレビ言葉の教室侵入──「バッチグー」の流行 小学校の教室には、いつも”何か&…

放送と検閲 ― ラジオ・映画・テレビの黎明期

公共の電波に声が乗る。
免許と番組表、 検閲と自主規制、 視聴率とアルゴリズムにより、 自由は管理の語彙で呼び直される。
沈黙は罰ではない。 放送コードとプラットフォーム規約の狭間で選び取られる態度である。